2014年9月22日月曜日

優しい距離感

先日のワークでいくつかの気付きがありました。午前のワークが終了し、ランチ休憩になりました。そこで私は何気なく、仲良しのIさんをランチに誘いました。私からのお誘いの回答に迷うIさん。コンビニでお弁当を買っているのでとやんわりとお断りになりました。一緒に会場の会議室で食べましょうということになり、私はコンビニへ向かいましたが、Iさんに一言断りを入れた後、そのまま外食してきました。多分これで良かったのです。そして午後のワークが始まりました。

ワークの後、それぞれが個別のカウンセリングを待つ間、Iさんとお話をしていました。会話の中でふと問題を抱えた当事者同士が会場外で会う危うさについてIさんが話し始めました。また女性ワークに男性が参加することや男性ワークに女性が参加することについて気になるところもあるとか。支援者不在の当事者同士の危うさの一場面は、先の「長い話その4」で話したとおりでございます。この日、私は女性ワークに参加していましたが、女性の中で男女間葛藤についての意見を交わすことは、私にはとても貴重な体験です。しかし異性がワークに参加していることに嫌な思いをしている人もいるはず、とIさん。私はその違和感さえもワークでの気付きを促しているとも思います。基本的にはファシリテーターの方の判断に委ねています。どちらが間違っているという事ではないと思いますが、そのような懸念にまで至っていないと考え始めたのは自分を見直す良い機会なのかも知れません。私には良いことが他者には同じく良いとは限りません。私のお馬鹿な頭でも分かっているつもりでしたが、なにやら大切な体験に思えます。私の生育は幼少期から困難の多いものでしたが、困難を乗り越えた経験が自分を必要以上に逞しくしたところもあるように思えます。そんな私の強さは時に私自身を守ってくれましたが、反対に誰かを困らせてしまうこともあるように思えます。(これ…今書きながら思いますが、私の中で何かがこじれてますね。不安でいっぱいだから、強さを纏ったつもりになって自分を守っていただけかも。強さでもなんでもない。。)

Iさんは私の見落とした距離感の大切さを伝えてくれたのではないかと思います。気持ちの良い適切な距離感はそれぞれ違うよね。。と。

私は妻さんとの適切な距離を保つことができていなかったように思えてきました。遠からず近からず。お互いに一人の領域を保つことのできる距離が、穏やかで優しい距離なのかもしれません。

怒りや諍いなど、思いの強さを抱いた人は、誰かにその気持ちを受け入れてもらいたいのではないでしょうか。(多分、追いかける夢とか、その情熱も似ています。)思いの強さは執着となり、執着はその渇きを潤そうとします。自分に不足したものを誰かに与えてもらおうと、その誰かとの距離を縮めたがります。そんな時、その人は多分、、不安で寂しいのかも。でも、その人の渇きをたっぷりと潤すことができるのはその人自身しかいません。ベランダでサボテンの乾いた土に水遣りする妻さんの姿を思い出します。・・・妻さんはあのサボテンみたいに、私を潤そうとしてくれていたではないか...。

書いていながら...

私、今、何かとても大切なことに気がついたような気がしています。。
私は妻さんに、、優しくなかった。




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