2014年9月23日火曜日

DV加害者と呼ばれる人たちへ

(最後まで書いて、DV加害者と呼ばれる人たちへというタイトルにしながら、読み返すとこれは自分自身に書いたものだと思えています。この8ヶ月の思いを整理するためにも。)

今から約8ヶ月前に妻がDVシェルターに入所しました。そのことが本当なのかどうか、私は夢を見ているような気持ちになります。私には未だに妻さんと我が子の現状は分からずにいるのです。DVモンスターのレッテルを貼られた悪魔には、家族がこの8ヶ月間どうしていたのかは告げられることはありません。シェルターには、激化した夫婦関係の中で、被害者の命の安全を確保する目的があるのですから、熱りが冷めるまでは仕方ないことなのかもしれません。そしていつの間にか、DV加害者の私はDV虐待モンスターとして攻撃対象に仕上がっていきます。自分のためにもこれからの家族のためにも見直すところはしっかり見直し、自省しながらも攻撃に振り回されることだけは避けたいと思っています。

自分の問題にも気がつけずに混乱していた当初、自分自身や家族に何が起きているのかを把握できずにいました。妻さんがDVシェルターに入所したと聞き、私は大いに混乱していました。不安で怖い。仕事にも集中できない。眠れない。子供は保育園を退園したと近所のママ友から聞きます。誰かに会うのではないかと外に出ることも億劫。かといって家で落ち着くこともできず、震えて泣きながらリビングを右往左往。ネットでDVについて調べますが、余計に不安に駆られます。

そんな折に、裁判所から保護命令の通知が届きました。私の場合、2ヶ月の退去命令もありました。陳述書には、か弱い妻さんをボッコボコにしたという悪魔のような私が描かれています。妻さんとモメていた期間の分だけ仕事も停滞しており、経済的な余裕もありません。自宅で仕事する事も多い私が退去するのは死活問題でもありました。ネットでDVについて調べていると、どうやら私はDV加害者であるらしい。DV加害者更生プログラムというものがあるらしい。自分に問題があるなら徹底的に改善し更生したい。藁をもすがる思いでした。同時に図書館でDV関連の本も読み漁っていました。その一冊によるとDV加害者の特徴として、DV加害者はDV加害者更生プログラムに参加したがるというものもありましたが、どうせいっちゅうねん。フルボッコです。

そんな窮地に立たされながら、悪魔である前に人類である私に奪われた子供を守ろうという本能が働きます。悪魔のように扱われ排除されるという不安に対して自己防衛本能が働きます。フルボッコにされながら加害者の怒りは増大してしまい、ますます加害者?扱いされることになることは家族をより苦しい状況にしてしまう。DVモンスターのレッテルを貼られ、虐待親のレッテルを貼られ、我が子を人質のように扱われ、不安を煽り続けられる。DV加害者は見えないところから攻撃を受け続けます。病理化する当事者も目にしてきましたが、私にも痛いほど気持ちが分かります。私は家に閉じこもっていてはいけないと深夜に何時間も散歩し続けました。何をしていいか分からず、かと言って、何かしていないと壊れそうでした。

私への妻さんの行動が妻さんの意思なのか、DVシェルターの支援者の意志なのかすら分かりません。加害者認定された後、これでもかというほど自省する気持ちでいたのですが、加害者は更に追い込まれ続けます。どうしようもなく子供を奪われたという気持ちになってしまう私は、妻への怒りが自分の中にあるのを感じていました。どうにかその怒りの感情を鎮めようとしていた時に、更に攻撃されると、どうにもできず怒りの感情が生じてしまいます。その時、湧き出た怒りの感情を把握したように思います。どのようにして怒りの感情が生じるかを明確に知ったように思いました。怒りの気持ちは攻撃に転じます。これ以上もう妻さんを攻撃することだけは避けたい。攻撃が攻撃を生むループに家族が壊れていく。。これが私にとってDVという現象の姿でした。

妻さんがシェルターに入所した後、自助グループや脱暴力支援に救いを求めました。その場には経験豊かな当事者とそれを見守る支援者がいました。問題に気付けず相手に攻撃を繰り返し争い続ける当事者の姿も目にしました。一方で、問題に気付き、問題をひとつひとつ乗り越えながらより深い信頼関係を再構築する家族にも出会いました。再生していく家族に触れることは私の希望でした。多くの家族や支援者との交流を通して、私にも自らの攻撃を止めることは出来そうだと思えたのです。当初は自分が攻撃していることすら分かっていませんでした。そもそも妻さんと争うことなんてこれっぽっちも望んでおりませんでしたのに。

ある日、生活の全てを奪われ自分を全否定されたように感じて叫びます。「お前のせいでこうなったぁあ。死んでやるーっorz。」それは相手への攻撃になります。そんな攻撃をするから相手に受け入れてもらえないのだろうと今なら理解できます。受け入れられないことで更に泣きわめきます。または、一時的に優しく振る舞います。これもまた攻撃になるようです。 あの手この手を使うわけですが、まだ問題に気が付いていません。脱暴力プログラムを通して学び、納得しましたが、暴力の本質はコントロールです。相手を自分の思い通りにしようとする行為です。相手を自分の思い通りにしようとしますが、自分の思うようには簡単に事が運びません。更に声が大きくなっていきます。大声でも効果が無いと知るやいなや、無視します。ドアをバタンと音を立てて閉めます。はたまたテーブルを叩きます。教科書通り・・もう私達は完全なDVです。子供の前でそんな姿を見せ続けるのは虐待です。「私はDVを受けた。だから子供に会わせない。あなたなんて勝手に死ねばいい。。」これも攻撃に対する攻撃です。これもまたDVです。そして虐待です。そしてまだまだ続きます。「子供に会いたければ離婚して養育費と慰謝料渡さんかいっ(おこ)。」「子供巻き込むな!とりあえず子供に会わせんかいっ(げきおこ)。」子供を巻き込むなと言いながら自らも夫婦問題に子供を巻き込んでいることにも気が付いていません。DVや離婚は夫婦の問題です。夫婦の問題に子供達は巻き込まれてしまいます。それほどお互いにとって子供の存在は大切です。それに自分たちそれぞれの問題に向き合うこともとても難しい。お互いが相手を悪者にしている間は自分が傷つかなくて済みます。しかし問題は何も改善されません。知らず知らずに問題を複雑化することになり、夫婦間は更にこじれます。夫婦関係がこじれるほどに、悲しいかな、、親子の距離は遠いものになっていきます。相手を責めることではなく、それぞれが攻撃している自分自身の問題に気が付くことが大切なのかもしれないと、私は思い始めました。しかし不思議だとは思いませんか。夫婦間にDV問題が浮上し、妻さんはDVシェルターで支援を受けているはずなのにDVが激化しているではありませんか...。

DV被害者支援の現場で何が行われているのか私には分かりません。これは私が聞いたことです。実体験ではありません。今現在は復縁した家族の奥様が以前DVシェルターに入所していたそうです。DVシェルターでは、DV加害者は治らないという前提のもと、彼女には離婚以外の選択肢は考えられなかったそうです。決断するのは自分自身ですが「思い込まされていた。」と口からこぼれます。DV被害者の自分とその支援者との関係の中で復縁を望むことは支援者への裏切りだと思い込んでいたとも言います。またある支援者は多くの家族の信頼関係を修復されてきましたが、家族の再生が難しいケースは?という私の質問に、被害者の側に行政の支援者がいる場合はとても難しいと返答します。繰り返しになりますが、DV被害者支援の現場で何が行われているのか私には分かりません。DV被害者シェルターに命を救われた方々も多くいるに違いないと想像します。ただ、これまでの妻さんの言動に支援者の意思が混入しているとすれば、、DV加害者になり、DVや暴力について知ることになった今の私にはその指南がとても暴力的に思えるのです。もしそうなら妻さんは今も暴力の場に身をおいているのではないか・・こんな恐ろしい妄想はありません。。支援とはいつも善意であるに違いない。妻さんと同居していた頃、モメにモメていた私達夫婦がそれぞれ善意であったように。。暴力の本質がコントロールなら、私が感じてしまう攻撃的なものに、攻撃で応戦するのではなく、ただ振り回されないことしか今の私にはできません。ひとまず自らの攻撃を止め、攻撃を受け流せるようになることで、いつかDVというこの猛火が沈静化してくれることを願っています。怒りや暴力の構造を知り、夫婦が諍いを続ける原因をお互いが知ることで、夫婦はDVという諍いからそれぞれ解放されるように思えています。

(自戒を込めて、知識や正しさが相手を苦しめることがある。私はDV男だということを私は忘れないように。私の言及は言い訳じみているのかも知れません。でも今の自分には精一杯。もっと力を抜けよ、、私。)

DV虐待モンスターに仕立てあげられた未熟な私達。今は苦しい時だと思います。私も幸運ながら佳き出会いに恵まれ、自分の問題に気付き、少しは落ち着いていますがやはりとても辛いです。妻さんの現状や子供のことを考えるとネガティブな妄想が加速し、気が狂ってしまいそうです。私の中で妻さんとの諍いの火はようやく消えてくれました。そう願っています。時に怒りの感情が沸き起こることもありますが、それに振り回されることは今はありません。怒りの感情を抱くことに、今の私はとても敏感で怖いです。不安はありますが、妻さんとの同居時よりも穏やかな時間を過ごしていることも事実です。一旦落ち着き始めると、私達夫婦が陥っていたあの諍いは一体何だったのだろうと振り返ることも多いです。いつかそのことを妻さんに伝えられるかどうか。。もしかすると叶わないのかもしれません。私の過去はこれ程までに妻さんを追い詰めていたという一面もあります。しかし前向きにいたい。時間はかかるのかもしれません。挫けそうになる時、目を閉じるといつも浮かぶ笑顔の子供が励ましてくれています。

今は理解できます。私は当時、暴力的でした。どうして自分が暴力的なのか分からなかった。暴力的な自分が大嫌いで、暴力的である自分を受け入れることがとても難しかった。これは本当に難しかった。。そんな私に様々な気付きを与えてくれた当事者や支援者たちとの出会いを通して、私は少しずつですが落ち着きを取り戻して来たように思います。私が今こうして一握りの平静を保てているのは、DVを乗り越えた夫婦やそれを見守り続ける支援者の方の存在があるからだと思います。そして、ひとつひとつの気付きが自分を癒してくれているのだと思えます。怒りや諍いの構造を理解することは、家族と引き離されている方々にとって、家族の状態や現状を理解する手助けになるのではないかと思えます。多くの家族との交流や脱暴力プログラムのワークを通して、言葉の選び方も深く意識するようになりました。その経験は仕事など、人間関係や様々な場面で生かされているようにも思えています。自助グループやDV加害者支援プログラムは沢山ありますが、私はその中でも家族が再生するという希望を持つことのできる人達との出会いを取捨選択してきたように思います。あの日から、もう8ヶ月。まだ8ヶ月。。まだまだ問題の渦中にありますが、そのことには心底救われたと思っています。

怒りや暴力は、それを振りまくその人自身にとっても破壊的なものでもあるようです。家族を大切に思う気持ち、それと同時に自分自身を大切にする方法を身につけたいとも思います。大丈夫...私達は悪魔でもモンスターでもない。あなたはあなたのままでこれからも生きていける...。ある人が私に問いかけ、私を救ってくれた言葉。

長文乱筆、失礼しました。



1 件のコメント:

  1. ご質問ください。
    私も同じような状況にある父親です。
    その後、子供とは会えたのでしょうか?
    ずいぶん前の記事なので繋がれたら本望です。

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