2014年9月26日金曜日

毒と薬草

先日、ツイッターを眺めているとこんなつぶやきが流れてきました。

「今年は野球が面白いとつぶやいたら、サッカーの悪口言うなというリプライがあった。」

みたいな内容だったと思います。笑えました。リプライもただの冗談だと思いますが、認知の歪みというか、発言の意味合いは受け手にとってこうも変わるのだということを表していて面白かったです。

またあるブログ記事で読んだ書き込み。

「発言がその人にとって、毒にも薬にもなる。もともと毒と薬は同じもの。」

何があっても毒にも薬にもどちらにもできる。それもその人次第。

調停で手紙を妻さんに渡しましたが、私の言葉が全て毒になるのかもしれないと思うと悲しい。私の存在が毒になるのも悲しい。でもいつか、気持ちは届く。その気持ちがいつか薬になって欲しい。何日も掛けて書き直した手紙。重くなるのも嫌で難しかった。

言葉の力を信じたい。

発狂しそうな毎日だけど、この毎日を自分自身の薬にしたいなぁ。



2014年9月23日火曜日

DV加害者と呼ばれる人たちへ

(最後まで書いて、DV加害者と呼ばれる人たちへというタイトルにしながら、読み返すとこれは自分自身に書いたものだと思えています。この8ヶ月の思いを整理するためにも。)

今から約8ヶ月前に妻がDVシェルターに入所しました。そのことが本当なのかどうか、私は夢を見ているような気持ちになります。私には未だに妻さんと我が子の現状は分からずにいるのです。DVモンスターのレッテルを貼られた悪魔には、家族がこの8ヶ月間どうしていたのかは告げられることはありません。シェルターには、激化した夫婦関係の中で、被害者の命の安全を確保する目的があるのですから、熱りが冷めるまでは仕方ないことなのかもしれません。そしていつの間にか、DV加害者の私はDV虐待モンスターとして攻撃対象に仕上がっていきます。自分のためにもこれからの家族のためにも見直すところはしっかり見直し、自省しながらも攻撃に振り回されることだけは避けたいと思っています。

自分の問題にも気がつけずに混乱していた当初、自分自身や家族に何が起きているのかを把握できずにいました。妻さんがDVシェルターに入所したと聞き、私は大いに混乱していました。不安で怖い。仕事にも集中できない。眠れない。子供は保育園を退園したと近所のママ友から聞きます。誰かに会うのではないかと外に出ることも億劫。かといって家で落ち着くこともできず、震えて泣きながらリビングを右往左往。ネットでDVについて調べますが、余計に不安に駆られます。

そんな折に、裁判所から保護命令の通知が届きました。私の場合、2ヶ月の退去命令もありました。陳述書には、か弱い妻さんをボッコボコにしたという悪魔のような私が描かれています。妻さんとモメていた期間の分だけ仕事も停滞しており、経済的な余裕もありません。自宅で仕事する事も多い私が退去するのは死活問題でもありました。ネットでDVについて調べていると、どうやら私はDV加害者であるらしい。DV加害者更生プログラムというものがあるらしい。自分に問題があるなら徹底的に改善し更生したい。藁をもすがる思いでした。同時に図書館でDV関連の本も読み漁っていました。その一冊によるとDV加害者の特徴として、DV加害者はDV加害者更生プログラムに参加したがるというものもありましたが、どうせいっちゅうねん。フルボッコです。

そんな窮地に立たされながら、悪魔である前に人類である私に奪われた子供を守ろうという本能が働きます。悪魔のように扱われ排除されるという不安に対して自己防衛本能が働きます。フルボッコにされながら加害者の怒りは増大してしまい、ますます加害者?扱いされることになることは家族をより苦しい状況にしてしまう。DVモンスターのレッテルを貼られ、虐待親のレッテルを貼られ、我が子を人質のように扱われ、不安を煽り続けられる。DV加害者は見えないところから攻撃を受け続けます。病理化する当事者も目にしてきましたが、私にも痛いほど気持ちが分かります。私は家に閉じこもっていてはいけないと深夜に何時間も散歩し続けました。何をしていいか分からず、かと言って、何かしていないと壊れそうでした。

私への妻さんの行動が妻さんの意思なのか、DVシェルターの支援者の意志なのかすら分かりません。加害者認定された後、これでもかというほど自省する気持ちでいたのですが、加害者は更に追い込まれ続けます。どうしようもなく子供を奪われたという気持ちになってしまう私は、妻への怒りが自分の中にあるのを感じていました。どうにかその怒りの感情を鎮めようとしていた時に、更に攻撃されると、どうにもできず怒りの感情が生じてしまいます。その時、湧き出た怒りの感情を把握したように思います。どのようにして怒りの感情が生じるかを明確に知ったように思いました。怒りの気持ちは攻撃に転じます。これ以上もう妻さんを攻撃することだけは避けたい。攻撃が攻撃を生むループに家族が壊れていく。。これが私にとってDVという現象の姿でした。

妻さんがシェルターに入所した後、自助グループや脱暴力支援に救いを求めました。その場には経験豊かな当事者とそれを見守る支援者がいました。問題に気付けず相手に攻撃を繰り返し争い続ける当事者の姿も目にしました。一方で、問題に気付き、問題をひとつひとつ乗り越えながらより深い信頼関係を再構築する家族にも出会いました。再生していく家族に触れることは私の希望でした。多くの家族や支援者との交流を通して、私にも自らの攻撃を止めることは出来そうだと思えたのです。当初は自分が攻撃していることすら分かっていませんでした。そもそも妻さんと争うことなんてこれっぽっちも望んでおりませんでしたのに。

ある日、生活の全てを奪われ自分を全否定されたように感じて叫びます。「お前のせいでこうなったぁあ。死んでやるーっorz。」それは相手への攻撃になります。そんな攻撃をするから相手に受け入れてもらえないのだろうと今なら理解できます。受け入れられないことで更に泣きわめきます。または、一時的に優しく振る舞います。これもまた攻撃になるようです。 あの手この手を使うわけですが、まだ問題に気が付いていません。脱暴力プログラムを通して学び、納得しましたが、暴力の本質はコントロールです。相手を自分の思い通りにしようとする行為です。相手を自分の思い通りにしようとしますが、自分の思うようには簡単に事が運びません。更に声が大きくなっていきます。大声でも効果が無いと知るやいなや、無視します。ドアをバタンと音を立てて閉めます。はたまたテーブルを叩きます。教科書通り・・もう私達は完全なDVです。子供の前でそんな姿を見せ続けるのは虐待です。「私はDVを受けた。だから子供に会わせない。あなたなんて勝手に死ねばいい。。」これも攻撃に対する攻撃です。これもまたDVです。そして虐待です。そしてまだまだ続きます。「子供に会いたければ離婚して養育費と慰謝料渡さんかいっ(おこ)。」「子供巻き込むな!とりあえず子供に会わせんかいっ(げきおこ)。」子供を巻き込むなと言いながら自らも夫婦問題に子供を巻き込んでいることにも気が付いていません。DVや離婚は夫婦の問題です。夫婦の問題に子供達は巻き込まれてしまいます。それほどお互いにとって子供の存在は大切です。それに自分たちそれぞれの問題に向き合うこともとても難しい。お互いが相手を悪者にしている間は自分が傷つかなくて済みます。しかし問題は何も改善されません。知らず知らずに問題を複雑化することになり、夫婦間は更にこじれます。夫婦関係がこじれるほどに、悲しいかな、、親子の距離は遠いものになっていきます。相手を責めることではなく、それぞれが攻撃している自分自身の問題に気が付くことが大切なのかもしれないと、私は思い始めました。しかし不思議だとは思いませんか。夫婦間にDV問題が浮上し、妻さんはDVシェルターで支援を受けているはずなのにDVが激化しているではありませんか...。

DV被害者支援の現場で何が行われているのか私には分かりません。これは私が聞いたことです。実体験ではありません。今現在は復縁した家族の奥様が以前DVシェルターに入所していたそうです。DVシェルターでは、DV加害者は治らないという前提のもと、彼女には離婚以外の選択肢は考えられなかったそうです。決断するのは自分自身ですが「思い込まされていた。」と口からこぼれます。DV被害者の自分とその支援者との関係の中で復縁を望むことは支援者への裏切りだと思い込んでいたとも言います。またある支援者は多くの家族の信頼関係を修復されてきましたが、家族の再生が難しいケースは?という私の質問に、被害者の側に行政の支援者がいる場合はとても難しいと返答します。繰り返しになりますが、DV被害者支援の現場で何が行われているのか私には分かりません。DV被害者シェルターに命を救われた方々も多くいるに違いないと想像します。ただ、これまでの妻さんの言動に支援者の意思が混入しているとすれば、、DV加害者になり、DVや暴力について知ることになった今の私にはその指南がとても暴力的に思えるのです。もしそうなら妻さんは今も暴力の場に身をおいているのではないか・・こんな恐ろしい妄想はありません。。支援とはいつも善意であるに違いない。妻さんと同居していた頃、モメにモメていた私達夫婦がそれぞれ善意であったように。。暴力の本質がコントロールなら、私が感じてしまう攻撃的なものに、攻撃で応戦するのではなく、ただ振り回されないことしか今の私にはできません。ひとまず自らの攻撃を止め、攻撃を受け流せるようになることで、いつかDVというこの猛火が沈静化してくれることを願っています。怒りや暴力の構造を知り、夫婦が諍いを続ける原因をお互いが知ることで、夫婦はDVという諍いからそれぞれ解放されるように思えています。

(自戒を込めて、知識や正しさが相手を苦しめることがある。私はDV男だということを私は忘れないように。私の言及は言い訳じみているのかも知れません。でも今の自分には精一杯。もっと力を抜けよ、、私。)

DV虐待モンスターに仕立てあげられた未熟な私達。今は苦しい時だと思います。私も幸運ながら佳き出会いに恵まれ、自分の問題に気付き、少しは落ち着いていますがやはりとても辛いです。妻さんの現状や子供のことを考えるとネガティブな妄想が加速し、気が狂ってしまいそうです。私の中で妻さんとの諍いの火はようやく消えてくれました。そう願っています。時に怒りの感情が沸き起こることもありますが、それに振り回されることは今はありません。怒りの感情を抱くことに、今の私はとても敏感で怖いです。不安はありますが、妻さんとの同居時よりも穏やかな時間を過ごしていることも事実です。一旦落ち着き始めると、私達夫婦が陥っていたあの諍いは一体何だったのだろうと振り返ることも多いです。いつかそのことを妻さんに伝えられるかどうか。。もしかすると叶わないのかもしれません。私の過去はこれ程までに妻さんを追い詰めていたという一面もあります。しかし前向きにいたい。時間はかかるのかもしれません。挫けそうになる時、目を閉じるといつも浮かぶ笑顔の子供が励ましてくれています。

今は理解できます。私は当時、暴力的でした。どうして自分が暴力的なのか分からなかった。暴力的な自分が大嫌いで、暴力的である自分を受け入れることがとても難しかった。これは本当に難しかった。。そんな私に様々な気付きを与えてくれた当事者や支援者たちとの出会いを通して、私は少しずつですが落ち着きを取り戻して来たように思います。私が今こうして一握りの平静を保てているのは、DVを乗り越えた夫婦やそれを見守り続ける支援者の方の存在があるからだと思います。そして、ひとつひとつの気付きが自分を癒してくれているのだと思えます。怒りや諍いの構造を理解することは、家族と引き離されている方々にとって、家族の状態や現状を理解する手助けになるのではないかと思えます。多くの家族との交流や脱暴力プログラムのワークを通して、言葉の選び方も深く意識するようになりました。その経験は仕事など、人間関係や様々な場面で生かされているようにも思えています。自助グループやDV加害者支援プログラムは沢山ありますが、私はその中でも家族が再生するという希望を持つことのできる人達との出会いを取捨選択してきたように思います。あの日から、もう8ヶ月。まだ8ヶ月。。まだまだ問題の渦中にありますが、そのことには心底救われたと思っています。

怒りや暴力は、それを振りまくその人自身にとっても破壊的なものでもあるようです。家族を大切に思う気持ち、それと同時に自分自身を大切にする方法を身につけたいとも思います。大丈夫...私達は悪魔でもモンスターでもない。あなたはあなたのままでこれからも生きていける...。ある人が私に問いかけ、私を救ってくれた言葉。

長文乱筆、失礼しました。



2014年9月22日月曜日

優しい距離感

先日のワークでいくつかの気付きがありました。午前のワークが終了し、ランチ休憩になりました。そこで私は何気なく、仲良しのIさんをランチに誘いました。私からのお誘いの回答に迷うIさん。コンビニでお弁当を買っているのでとやんわりとお断りになりました。一緒に会場の会議室で食べましょうということになり、私はコンビニへ向かいましたが、Iさんに一言断りを入れた後、そのまま外食してきました。多分これで良かったのです。そして午後のワークが始まりました。

ワークの後、それぞれが個別のカウンセリングを待つ間、Iさんとお話をしていました。会話の中でふと問題を抱えた当事者同士が会場外で会う危うさについてIさんが話し始めました。また女性ワークに男性が参加することや男性ワークに女性が参加することについて気になるところもあるとか。支援者不在の当事者同士の危うさの一場面は、先の「長い話その4」で話したとおりでございます。この日、私は女性ワークに参加していましたが、女性の中で男女間葛藤についての意見を交わすことは、私にはとても貴重な体験です。しかし異性がワークに参加していることに嫌な思いをしている人もいるはず、とIさん。私はその違和感さえもワークでの気付きを促しているとも思います。基本的にはファシリテーターの方の判断に委ねています。どちらが間違っているという事ではないと思いますが、そのような懸念にまで至っていないと考え始めたのは自分を見直す良い機会なのかも知れません。私には良いことが他者には同じく良いとは限りません。私のお馬鹿な頭でも分かっているつもりでしたが、なにやら大切な体験に思えます。私の生育は幼少期から困難の多いものでしたが、困難を乗り越えた経験が自分を必要以上に逞しくしたところもあるように思えます。そんな私の強さは時に私自身を守ってくれましたが、反対に誰かを困らせてしまうこともあるように思えます。(これ…今書きながら思いますが、私の中で何かがこじれてますね。不安でいっぱいだから、強さを纏ったつもりになって自分を守っていただけかも。強さでもなんでもない。。)

Iさんは私の見落とした距離感の大切さを伝えてくれたのではないかと思います。気持ちの良い適切な距離感はそれぞれ違うよね。。と。

私は妻さんとの適切な距離を保つことができていなかったように思えてきました。遠からず近からず。お互いに一人の領域を保つことのできる距離が、穏やかで優しい距離なのかもしれません。

怒りや諍いなど、思いの強さを抱いた人は、誰かにその気持ちを受け入れてもらいたいのではないでしょうか。(多分、追いかける夢とか、その情熱も似ています。)思いの強さは執着となり、執着はその渇きを潤そうとします。自分に不足したものを誰かに与えてもらおうと、その誰かとの距離を縮めたがります。そんな時、その人は多分、、不安で寂しいのかも。でも、その人の渇きをたっぷりと潤すことができるのはその人自身しかいません。ベランダでサボテンの乾いた土に水遣りする妻さんの姿を思い出します。・・・妻さんはあのサボテンみたいに、私を潤そうとしてくれていたではないか...。

書いていながら...

私、今、何かとても大切なことに気がついたような気がしています。。
私は妻さんに、、優しくなかった。




長い話その4(了)

ワークの時間は過ぎて行きました。ワークのあとは個別のカウンセリングが始まります。それぞれの予約時間を待つ間、会場に残った当事者たちは当事者同士で話し合うこともあります。参加する脱暴力プログラムでは、会場外では当事者同士が連絡を取り合うことや合うことは禁止されています。子供の引き離しや離婚、諍いの真只中にいる当事者同士では抱えた問題がいつ噴出するやもしれません。それぞれの傷を深め合う関係を作ってしまうかもしれません。それぞれの当事者はギリギリの精神状態なのです。私もギリギリですのでその辺りはよく分かります。とはいえ自由でそれぞれの自立的な気付きを促すこのワークでは厳格な禁止事項を意識することはあまりありません。私自身もワークのランチ時に当事者さんたちと同じ店で出くわし一緒に食事をしたり、そのままコーヒーを飲みに行ったり。その場が穏やかに過ぎて行くことがほとんどですが、穏やかさを保つことは簡単ではないという経験もありました。

私は初めての妻さんとの離婚調停をワークの数日後に控えていました。離婚調停で手紙を妻さんに渡そうとしていましたが、手紙を書いたり消したり。言葉と気持ちがなかなか一致しません。一人生活が始まったことで生活も急変しています。変化の中で様々なトラブルも起こっています。このワークの前日にはドライブスルーの駐車場内で小さな事故さえ起こす顛末。もうコーヒーフラペチーノなんて絶対飲みません。その一つ一つを乗り越える日々を過ごしながら、手紙を書くことすら、裁判所に返信することすらできずにいました。DV虐待モンスター男のレッテルを貼られた私には今の妻さんと子供の現状など誰も教えてはくれません。この8ヶ月間、真暗闇でバットを構えて、どこからボールが飛んでくるのか分からないままにバッターボックスに立ち続けているような感覚。離婚調停というボールがようやく妻さんから投げられました。暗闇の方へと私はどんな言葉を投げかけていいのか皆目分からないでいたのです。

ワークの後に調停経験者の女性Iさんに相談を持ちかけました。Iさんには私がこのプログラムに参加した当初より話を聞いたり聞いてもらったり。長い時間をかけて様々なことを乗り越えたのだろうと思える人で、乗り越えただけの幸せを知っているような人。彼女の幸せは私の希望です。その方の側には、先程のLさんが同席していました。私がIさんに相談し始めたところ、Lさんが堰を切ったように話し始めます。ああした方がいい、こうした方がいい、、開けたら最後!You can't stop、、もう、プリングルス状態です。超絶上から目線に感じてしまいます。それでも話を聞いていますが、もう私の相談内容とは大きく離れて彼女の話は進行しています。私のか弱き相談はいつの間にか討論を強いられるような様相。私はまたあれこれ考えすぎているに違いないなど、云々。と私への妄想も混入し始めているので、私は白目を剥いて今にも倒れそうでした。その場には一介の喧騒の空気さえ流れています。ごめんなさい助けて。。今のいっぱいいっぱいの未熟な私には、、あなたを受け入れることは難しいのです。ここに支援者やファシリテーターの方がいるとその場を上手く受け流してくれるのだろうと思います。当事者同士では難しいこともあることを改めて体験しておりました。私はIさんに相談したいと思って来たのです、、息も絶え絶え、ようやくそのように伝えると、私がLさんのことを否定したと思わせたのかもしれません、、ぷいとその場を離れて行きました。その後、別れ際に挨拶をしてももはや返答はありません...orz。私にスキルがあればその場をもう少し穏やかに収めることもできたかと思います。

これは私個人の物語なのですが、悩めるDV子羊の私に上記のような体験がありました。同級生のネバーエンディングストーリーと、Lさんとの体験は、私の中の何かと結びつこうとしてモヤモヤしていました。長い話、その思いの強さ、自己防衛(私の苛立ち・・)。ワークの後しばらくした頃、それは私自身の過去の姿と結びつき始めました。DVへと繋がった私自身の問題そのものだということに気付いたのです。妻さんとの共同生活では、私の思いも強かった。。

それに以前の私は2人のような行動には怒りやコントロールを持って対処してきたのだろうと思います。攻撃だと感じたものに攻撃することで怒りやコントロールから自分自身を防衛していたのでしょう。怒りやコントロールという攻撃に応戦することで、その場の諍いはその場では分散するかも知れませんが、それは一時凌ぎのものだと今なら分かります。私と妻さんはそんなことをお互いに知らず知らず繰り返していたように思えます。もし、、私が自分の正しさによって相手を責め立て、私の正当性を死守したとしたら。。私はその相手を悪者として排除するという攻撃をし続けることになったのかも。ワークの後、抱えていた一介の不快さや葛藤は、気付きをくれた感謝へと変化することで中和されていきました。

ワークに参加する当事者には、当事者として過ごしてきた時間の差異もあります。私は参加し始めて半年。数年参加されている方や、初めての参加者も。ワークでの当事者の語らいでは乗り越え成熟し始めた先人達と、ほやほやでがちがち(当初の私はそうでした)の後人達が交じり合って話し合います。先人たちは後人の言動を通して自分が過ごしてきた時間を、後人達は先人の言動を手本として、それぞれが自分の姿を省みる場所としても機能しているようです。怖くないよ、大丈夫。勝たなくてもいい。。大丈夫。分かってもらえなくてもあなたは大丈夫。あなたはあなたのままで生きていける。。葛藤や怒りの衝動の体験を通して、また一つ自分の中の不安を解消する体験にもなりました。

翌日、調停でお渡しするつもりの妻さんへの手紙を書きながら、私の中に隠れた強い思いや執着をひとつひとつ手放していきました。2人を通した出来事との出会いに感謝しながら、妻さんと我が子への正直な思いを隠すことなく、私は私を信じて前へと進みたいと思います。

長い話、了



長い話その3

同級生と過ごした時間は私にとって何だったのでしょうか...。文字にし、私自身も読み返しながら思うことはたくさんあるのです。生活の中、悪者を作らないということは近頃の出来そうで出来ない私の課題の一つでして、私は同級生の彼を私の心の奥底で悪者にしてはいまいか。。こうしてつらつらとあやつを攻撃してはいまいか。そんなことを考えながらひとまず宙ぶらりんにしておきます。お互いにとっての意味や答えは宙ぶらりんにしておくというテクニックも身につけました。宙ぶらりんになった問題は時間を経る中でそれぞれの気付きを運ぶということもあるやもしれません。また自分の意見を正当化する説得はパワーを用いて一方をコントロールすることとも言えそうでなんだか不穏です。正しさはその正しいと信じこむ思いの強さゆえ、気が付かずに暴力になっているということがあります。演台のカストロの姿を思い起こしますが、カストロは聴衆を攻撃はしませんでした。妻さんと同居している時は、お互いが納得を求めてとことん話し合いをしていたことを思い返します。深夜まで白熱していましたっけ。今はそれすら懐かしい。話せば話すほどすれ違い、些細な問題さえ深刻化させていたように思います。解決したという安心感をお互いが相手から与えられるものとして求めていたこともあるのではないかと思います。

週末は脱暴力プログラムのワークの日でした。妻さんがDVシェルターに入所してからというもの、私はどうしてのいいか分からず大いに混乱しておりました。私はいくつかの自助グループやDV加害者更生プログラムに参加し救いを求めました。私ってそんなに問題あるんかと、とことん落ち込んでもいました。自助グループやDV加害者更生プログラムもそれぞれ様々でした。問題に気づかず長い間争い続ける夫婦、ここにいたら私死んじゃうなというようなプログラムもありました。そんな中で私は家族が再生の希望を持てるものとの出会いを取捨選択してきたように思います。妻さんがDVシェルターに入所されてから、はや8ヶ月、もう8ヶ月、まだ8ヶ月。。その間、こんな私が参加し続けることのできるこのプログラム内では「DV加害者更生プログラム」とは呼ばないようです。今回はこの脱暴力プログラムで気付くことがありました。

このプログラムでは、男女のワークの時間は別れており、参加者は基本的に男性参加者だけのものと女性参加者だけのものですが、時として男女が交じり合ってワークに参加することがあります。ファシリテーターを務めるカウンセラーの方の他に、この日は女性のワークに私を含めて2人の男性が参加していました。妻さんとの一件より女性が怖くて怖くて仕方ない私。相当ビビっています。男女が交じり合って考えを聞くことは、加害者?と被害者?が同席して話し合うということにもなります。私には男性的な考え方や感じ方と女性的な考え方や感じ方の差異を学ぶ時間になりました。ワークの内容は「自分を売り込む」というものでした。これまで仕事での営業でも張り切りすぎて逃した仕事は多数。今回もつい張り切ってしまいます。まず3人ずつの小グループに分かれ、それぞれが自分自身を他の2人に「売り込み」ます。売り込みを受けた2人はその感想を述べるということを順番に行います。その後、小グループだけでなく全体で売り込みを受けたそれぞれの感想を述べていきます。私の売り込みはそこそこ成果を上げましたが、自分が嘘を付いているようで嫌な気持ちにもなりました。だって私はDVですもの売り込めるような人間ではありません。。

ワークにはいくつかのルールがあります。参加者同士の守秘義務を守ること、参加者へ否定批判する内容の発言などはしないようになど。その一つに自分の話ばかりしないというものもあります。限られた時間の中でそれぞれの発言機会が平等になるようにとの配慮のものだと思います。さて、私の参加した小グループでもワークが始まりました。一人目の女性Lさんの売り込みが始まります。私ともう一人の女性がその売り込みについて感想を述べます。それに対してLさんの意見を聞いています。そのLさんの話が、、長く感じてしまうのです(私には・・です)。困ったことに話があまり耳に入ってきません。。私ともう一人の彼女の時間も必要です。ただ聞いていると話は終わってくれません。Lさんのお話は未来永劫延々と続くのではないかと不安にさえなります。話のきりが良いと思えた時に「とても良く分かりました。。えぇっと、、次は私の番でしょうか・・」と私はつい隠したつもりの苛立ちを垣間見せて、その場をコントロールしてしまいます。そんな自分に不一致が起きてしまいます。どうやら私の中に苛立ちのような、怒りのような感情が生じているように感じています。私に怒りが生じることも誰かの怒りを生じさせることも以前の私にはありえないほどビビっているので彼女の顔を見ることすらできません。。そして俯きながらなんとなく次に私の売り込み。私の売り込みについて二人が意見を述べますが、いつの間にか先ほどのLさん自身の話を聞くことになっています。営業の極意は話を聞くことだと先輩の忠言を思い出しています。しかしこのままではなかなか次の方の番になりえません。話が熱を帯びるに従ってLさんの私達二人への妄想も混入してきます。妄想はやめておくれと私の語気が乱れてしまいます。

補足を付け加えますと、私は同級生やLさんの批判をしたくはないのです。むしろ感謝しています。そのことに気付きがあったのはワークから数日を経た頃。というのも同級生やLさんの胸を借りて、私は私自身の問題を見ているのだと思います。


長い話その4へ続きます。



長い話その2

さて、同級生とのお散歩が始まりました。
一人の生活が始まって以来、私は歩く時間が増えました。体を動かすという都市では失いがちで人類にとって根源的なことが精神を安定させてくれます。お散歩中も彼はノンストップでお話を続けています。エンジンもかかり始め私の話はスルー気味です。公園に向かって歩き出したのですが、公園にあと少しというところで、空腹でしかたないと言うので踵を返して私お気に入りの蕎麦屋へ辿り着きました。私は妻さんとの出来事からしばらく後より飲酒は基本的に封じております。自分自身への課題が山積みで飲んでる場合ではなくなったのです。そもそも楽しくないのです。食事を節制しながら外見を磨き、心身ともに健やかな状態で生活することが非常に気持ちいいのです。そのことは彼には既に報告済みです。しかしです、蕎麦屋にて彼は生ビールを頼みまして私に飲め飲めと猛烈に勧めて頂きまして私も飲むことに相成りました。再会を祝そうとは言いますが空港まで見送ったのはつい3ヶ月前。ビールをググっと一口。日本的な蕎麦のルックスや水が無料なこの豊かなニッポンにえらく感動されておりました。僭越ながら私とて同感です。私が蕎麦を平らげる間もお話はBGMのようにごく自然に続いております。私の方は急ぐでもなく食べ終えてご馳走様と手を合わせまして閉じた目をゆっくりと開いた時、あの時腹が減ったと告白した彼はジョッキを握りしめたまま蕎麦にまだ手を付けておりません。日中よりすっかり晩酌モードでごきげんさんです。

そして事件です。私はついいらぬことを言いました。「少し話が長いぞ笑」と。一同「・・・・・。」彼の表情は一変して曇りました。ゲリラ豪雨が来そうな雲行の速度で表情に怒りが表出しています。おぉ、これぞ不機嫌!というような暗雲が蕎麦香る店内の隅々まで立ち込めました。見事なものです。そう、私の一言が彼を傷つけたのです。その後延々と攻撃されまして日本語についての正しい使い方のミニゼミが開催されるなど私の日本語矯正を徹底的にして頂きました。色んな意味でお腹はいっぱいです。その後しばらくして彼は重厚かつ沈鬱で否定的な空気を置き土産にぷいと帰って行かれました。。彼は毎回こんな感じで独り身の我が家へ遊びに来てくれます♬ 

翌朝、仕事先で彼からの電話。朝まで六本木のガールズバーで飲んでいたとのことです。その夜にもラインにメッセージ。次の日は私の返信直後に出身高校の写真が連続投下。ふむどうやら母校に赴いて自分探ししておるのだな。。たとえ万が一にでも私があなたを探すことにお手伝いできるなら改めて信頼関係を築く時間が必要なのかもしれません。なんせ心はぴっしゃりと雨戸まで閉まっている印象を拭えません。受け入れてもらいたいのは分かるけれどももう十分受け入れていると思うし。これ以上はおっさん同士で気持ち悪いしなぁ。自己防衛するときにも饒舌になるようです。防衛の方法はいろいろとあるかと思いますが手っ取り早いのは攻撃です。自分の望みと一致させるためのコントロール。しかしコントロールを受けた側に疑問や不快感は残ります。その後の関係は色々難儀になってくるようです(体験談)。一方的にその人のリズムで話し続けられるのは呪文を浴びせ続けられるようで不快さを感じませんか。これにもコントロールを感じてしまいます。どうすればコントロールされないでしょうか。私はゆっくり返信の時間の間隔を伸ばして行く他為す術がありません。無視という攻撃は非暴力を実践中の私の好みでもございません。そして深夜に着信です。もういいと思いませんか。まだお腹は色んな意味でいっぱいです。

3ヶ月ぶりにファルコンにまたがってやって来た彼のネバーエンディングストーリーで私が覚えているのは、私の家に来る前日に六本木で朝まで飲んでいて男の娘と寝てきた、というお話でした。これはまたいつかの時にでも。。

しかしおまいさん冒険楽しんどるな...


長い話その3
に続くやもしれません。



2014年9月19日金曜日

長い話その1

離婚に傷心している高校の同級生がおりまして、その彼が3ヶ月ほどの海外旅行から帰国し、我が家へ立ち寄りました。彼の土産話に耳を傾けるのですが、聞いているうちに何故だか彼の話が耳に入ってきません。私は相槌を打ち、質問しますが、彼は自分の話を続けます。その話がやたらめったら長いのです。質問には答えてくれません。そこで席を立ったり、ツッコミを入れたり、僕なりに対話をスムーズにしようと遠回しにメッセージを伝えます。彼の話に合わせて自分の話をしてみても話題はコロコロと変わりながら彼の冒険のお話は同じリズムで続きます。一方的に話を聞かされ続けると疲れませんか。彼の気持ちは分かるような気もするんです。おそらく彼は僕を相手に彼自身の体験の情報処理をしているのではないでしょうか。私だってできれば紳士的に聞いていたい。そしてできればおしゃべりを楽しみたい。でも元DV夫の私にも無理でした。そこで散歩に行きませんかと誘い出しました。よし行きましょうということになりまして、私は準備をし始めましたが、彼は玄関でまだかまだかというオーラを醸し出してイライラしています。昔の私自身を見ているようでした。困ったように見せる妻さんも嫌でした。なにもかも嫌だったでしょうね、私は。そんな私と同居していればそれは疲労するはずです。立派なDVです。

DV当事者になり理解しましたが、DVのハードルは想像していたよりも低いものでした。あらゆる街のあらゆる家庭、職場、学校という集団の毎日に潜むどころか溢れています。そういう意味でもDV当事者になる可能性を誰もが秘めています。DV被害者が受難したとひと声上げれば、何一つ検証されないままDV加害者として新生活を始めることができます。それまで問題にならずにやり過ごせていた些細な事が、ある日突然大きな問題になってしまうのです。私も当事者になるなんて想像もしてきませんでしたしDVは悪魔のような男(決まって男...という刷り込み)でそれ以上に酷く忌み嫌うものはない程に私自身も軽蔑していましたから。(しかし私には自分自身が気付けずにいた問題もあったのです。その辺りはいずれまとめてみたい。。)一旦DVのレッテルを貼られれば周囲からの評価は激変します。妄想は膨らみ加速し、私を妄想DVモンスター男に仕上げていきます。しかしです、他者からの評価に耳を傾けはしますが気にはしません。自己肯定の大切さを学ぶことになった次第です。


長い話その2
に続きます。